多田先生の「鬼女」 [多田武彦氏]
千原英喜氏の新曲:「鬼女」(詩:草野心平)が完成したことは、以前紹介させていただいた。
●『鬼女』が完成
先日、トンペイのN氏を通じて楽譜を拝見させていただく機会があり、詩と音の配列、曲調を少しだけではあるが確認することができた。
N氏は、立正大学グリークラブ演奏会における[ちらし・チケット・プログラム]のデザイン製作を依頼されている。
中山卓郎アトリエ1級建築士事務所
自宅に戻ると、多田先生が「鬼女」を作曲されたことを思い出し、所持していたCD録音を引っ張り出して聴いた。
[関西学院グリークラブ100周年記念CD Vol. 3/Kyoichi Kitamura Collection]
[>]男声合唱組曲「草野心平の詩から・第二」 (作詩:草野心平 作曲:多田武彦)
「鬼女」は第3曲目の位置づけで、最大12声Divとのことだ。
実に、灯台下暗しであった.....
多田作品ファンとしては不甲斐ない。
「鬼女」という詩で、何ですぐに思い出せなかったのであろうか。
人間の記憶とは、この程度のものか。
?草野心平「背戸峨廊の秋」昭和56年?から詩を転載
鬼女
紅葉のくれなゐ。
かへでの黄。
ドドドド。(ドは、さんずいに堂の字)
落下する滝の。
碧(みどり)に映る黄とくれなゐの鹿の子まんだら。
こくはの太蔓をびいーんとはねて降りたつた鬼女は。
うるしの髪を右手でかきあげ。うすら笑ひの青白い頬。
血糊の口をがぶがぶすすぎ。
ドドドド。
ドドドド。
血糊をすすぐうつ伏せの。髪毛押しわけて角がたち。
水鏡の笑ひの口に牙がのび。光舞ひ舞ふ無数の木の葉。
金とべにとの。
金とべにとの。
滝壷におちた錦の帯は。竜のうねりのそのやうにぎらぎら光り沈んでゆく。
その青黒い澱みのなかへ。
舞ひおちるおちる舞ひおちる。
金とべにとの。
金とべにとの。
ドドドド。
ドドドド。
何とも、おどろおどろしい、異様な詩だ。
[舞ひおちるおちる舞ひおちる]という表現は、草野氏が好む文節なのか否か。
[>]草野心平「背戸峨廊の秋」昭和56年/草野氏ご自身による解説
[>]「草野心平詩集」解説/豊島与志雄氏
?抜粋転載?
五
ここには、壮麗な絵巻物が繰り拡げられる。
古代狩猟の景観は、銀壺の文様に制約されて、いささか窮屈な憾みなしとしない。
ところが、「牡丹圏」になると、突如、絢爛たる大舞台の幕が切って落され、咲き乱れてる
牡丹の花を背景に、大猩猩が存分に舞い狂う。
次の大舞台では、牡丹の花と天女の音楽のなかで人間と鬼との、奇怪な、滑稽な、実は真面
目な出会。
そして最後に、螺鈿の天の大満月。――表現は奔放自在、韻律を無視した語彙。
まさに歌舞伎のそれである。
「鬼女」になると、同じく大舞台ではあるが、歌舞伎から能へと、引き緊った感じである。
詩としての格調も整ってくる。
これらの絵巻物は何を示すか。
心平さんの、覇気と冒険と能才とであろう。
[>]草野心平 詩一覧
多田作品と千原作品、2つの「鬼女」。
今後の聴き比べが、楽しみだ。
●『鬼女』が完成
先日、トンペイのN氏を通じて楽譜を拝見させていただく機会があり、詩と音の配列、曲調を少しだけではあるが確認することができた。
N氏は、立正大学グリークラブ演奏会における[ちらし・チケット・プログラム]のデザイン製作を依頼されている。
中山卓郎アトリエ1級建築士事務所
自宅に戻ると、多田先生が「鬼女」を作曲されたことを思い出し、所持していたCD録音を引っ張り出して聴いた。
[関西学院グリークラブ100周年記念CD Vol. 3/Kyoichi Kitamura Collection]
[>]男声合唱組曲「草野心平の詩から・第二」 (作詩:草野心平 作曲:多田武彦)
「鬼女」は第3曲目の位置づけで、最大12声Divとのことだ。
実に、灯台下暗しであった.....
多田作品ファンとしては不甲斐ない。
「鬼女」という詩で、何ですぐに思い出せなかったのであろうか。
人間の記憶とは、この程度のものか。
?草野心平「背戸峨廊の秋」昭和56年?から詩を転載
鬼女
紅葉のくれなゐ。
かへでの黄。
ドドドド。(ドは、さんずいに堂の字)
落下する滝の。
碧(みどり)に映る黄とくれなゐの鹿の子まんだら。
こくはの太蔓をびいーんとはねて降りたつた鬼女は。
うるしの髪を右手でかきあげ。うすら笑ひの青白い頬。
血糊の口をがぶがぶすすぎ。
ドドドド。
ドドドド。
血糊をすすぐうつ伏せの。髪毛押しわけて角がたち。
水鏡の笑ひの口に牙がのび。光舞ひ舞ふ無数の木の葉。
金とべにとの。
金とべにとの。
滝壷におちた錦の帯は。竜のうねりのそのやうにぎらぎら光り沈んでゆく。
その青黒い澱みのなかへ。
舞ひおちるおちる舞ひおちる。
金とべにとの。
金とべにとの。
ドドドド。
ドドドド。
何とも、おどろおどろしい、異様な詩だ。
[舞ひおちるおちる舞ひおちる]という表現は、草野氏が好む文節なのか否か。
[>]草野心平「背戸峨廊の秋」昭和56年/草野氏ご自身による解説
[>]「草野心平詩集」解説/豊島与志雄氏
?抜粋転載?
五
ここには、壮麗な絵巻物が繰り拡げられる。
古代狩猟の景観は、銀壺の文様に制約されて、いささか窮屈な憾みなしとしない。
ところが、「牡丹圏」になると、突如、絢爛たる大舞台の幕が切って落され、咲き乱れてる
牡丹の花を背景に、大猩猩が存分に舞い狂う。
次の大舞台では、牡丹の花と天女の音楽のなかで人間と鬼との、奇怪な、滑稽な、実は真面
目な出会。
そして最後に、螺鈿の天の大満月。――表現は奔放自在、韻律を無視した語彙。
まさに歌舞伎のそれである。
「鬼女」になると、同じく大舞台ではあるが、歌舞伎から能へと、引き緊った感じである。
詩としての格調も整ってくる。
これらの絵巻物は何を示すか。
心平さんの、覇気と冒険と能才とであろう。
[>]草野心平 詩一覧
多田作品と千原作品、2つの「鬼女」。
今後の聴き比べが、楽しみだ。
[舞ひおちるおちる舞ひおちる]という表現については、深澤眞二氏(広友会メンバーでもいらっしゃる)の著書「なまずの孫 一ぴきめ」に記されています。
それによると、「さくら散る」と「鬼女」は詩集『天』に続けて収められており、情景の対比や言い回しのリンクが意識されているとのことです。
なお『天』で「鬼女」の次に収録されている詩は「金魚」で、これにも同じような仕掛けがあると指摘されています。たとえば[金とべに(あか)との]とか、芝居がらみの語句が出てくることとか。
by せき (2009-07-11 00:32)
なるほど!! ありがとうございます。
そういった作品の配列でしたか。
私は分析が苦手で、いつも表面的な浅い情報収集と解釈ばかりで、深みがない文章を書いてしまいます。
やはり、深く掘り下げることも必要ですね。
多田先生のお言葉
−詩を何度も読み込み、詩が持つ意味を十分分析して理解しなさい−
by malechoirpopeye (2009-07-11 12:02)